2018年12月27日木曜日

仏教3.0 鼎談2018年12月22日土曜日

朝カル新宿での鼎談。永井均、山下良道、藤田一照。
前回から2年、過去の鼎談をまとめた書籍からそれ以降の活動からの振り返り。
今回
・藤田一照氏の持論。
  ・テーマは他者の問題、慈悲の問題。
  ・『座禅は自己の正体である。』(道元、内山興正、沢木興道)
  ・単なる自我と自覚の自我との違い
  ・単なる自我が修行して自覚の自我となる。
  ・自覚のある自我=<私>か?
      ・単なる自我のマインドフルネス(有心のマインドフルネス)、自覚のある自我のマインドフルネス(無心のマインドフルネス)
  ・慈悲=higher emotion
・山下良道氏と藤田一照氏との絡み。両者の仏教3.0対しての差異があるのでは?という話。
  ・(山下)1960~70年アメリカでのティック・ナット・ハン氏の言い分がわからなかった。禅をやった人間がマインドフルネスを理解できない点「明晰な意識は瞑想の邪魔ではないか?」
  ・日本マインドフルネス学会のマインドフルネスの定義
   「今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価を気にせず、とらわれのない状態でただ観る」
     2つの要素
      前者は明晰な意識による観察「今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け」
      後者は捨、平静さ「評価を気にせず、とらわれのない状態でただ見る」
  ・気づき=非思慮、観自在。
・永井先生のお話。
  ・<私>は単なる事実であり、仏教3.0で修行で目指すにはその価値があるかどうか?
  ・超越的と超越論的のお話。(藤田氏の話の「透明性」というキーワードから)
  ・超越的はこの世を超越している。超越論的は世界に私が組み込まれている。
  ・カントは超越論的哲学者
  ・<今>=<私>は世界の始まり
  ・「今」=「私」は一つの現実の始まり
  ・超越論的哲学から超越的哲学、自然的哲学が始まる。
  ・他者の問題はフッサールから。カントは他者の問題にはふれていない(意図的かどうか説が分かれる)
  ・カント、主観(私)、客観(物の世界)「純粋理性批判」は主観から出発し、客観を造り出す。
  ・世界を開く原点は自分、そのことが他の人に伝わるのが不思議。
  ・縦の透明性、横の透明性。
  ・Why be moral? (ブリチャード)
    1.道徳について道徳的にこたえるのはトートロジー
    2.利己的な理由になる。自分が気持ちいい。いい人生が送れる。


Nand to Tetris

https://mycode.rip/theory-and-implementation-of-computer-systems



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コンピュータシステムの理論と実装 ―モダンなコンピュータの作り方

石田吉貞『隠者の文学』講談社学術文庫

 FIRE系の動画や書籍を読んでいる。また、年齢を上になるにつれ、自分と社会の距離感なども気になる。本書は、以前から読んで気にいったいた中野孝二『清貧の思想』と同様の思想の書籍である。 石田吉貞『隠者の文学』講談社学術文庫 隠者の文学―苦悶する美 (講談社学術文庫) 隠者と隠者...