2016年12月25日日曜日

鼎談仏教3.0 2016.12.24

恒例のクリスマスイブにある、永井先生と山下良道さん、藤田一照さんの鼎談にいく。朝カルの新宿。
最初に山下良道さんの仏教2.0と仏教3.0の違いの解説から。仏教2.0(テラワーダ仏教)では、貪りと怒りを失くすように指導される。しかし、それがなくなった後はどうなるのか?煩悩がなくなりまっさらになるとは、どういう状態なのか?答えとしては、まっさらになることは、瞑想体験でおいてのみで、身体としては変わらないということである。
仏教3.0では、仏教2.0で、貪りや怒り、「私」がなくなったことを見るpersonが生じている。これは永井先生の<私>と同じでと説明されるが、永井先生の<私>は、単なる事実であり、修行によって獲得されたpersonではない。強いて言えば慈悲を備えた霊的人格のようなものを想定している。
・心に二相という観点からの説明では、仏教2.0では小心、仏教3.0では、大心に対応する。
・永井先生の説明では、仏教2.0では、アリストテレスの質料と形相の説明では、仏教2.0
ではヴィッパサナー瞑想は、煩悩という形相をバラバラにして質料に還元することと説明できる。また、トマス・アキナスはアリストテレスを崇拝していたが、唯一違うのは神の世界創造の説明は、有から有を作り出すアリストテレスの質料、形相の説明ではなく、無から有を生み出すという説明だった。形相->質料がキーワード。
実存と本質という説明では、仏教3.0の<私>は、ただあるだけの実存である。本質->実存という矢印の方向の説明は仏教2.0と仏教3.0の図式でどう説明されるのか?
・仏教2.0ではmindfulness、仏教3.0ではcompassionという図式。

石田吉貞『隠者の文学』講談社学術文庫

 FIRE系の動画や書籍を読んでいる。また、年齢を上になるにつれ、自分と社会の距離感なども気になる。本書は、以前から読んで気にいったいた中野孝二『清貧の思想』と同様の思想の書籍である。 石田吉貞『隠者の文学』講談社学術文庫 隠者の文学―苦悶する美 (講談社学術文庫) 隠者と隠者...