村上春樹『騎士団長殺し 第1部顕れるイデア編』読了。村上春樹の世界は健在。各章ごとのタイトルのつけ方が独特なのが気になった。
4.遠くからみればおおかたのものごとは美しく見える
9.お互いのかけらを交換しあう
12.あの名もなき郵便夫のように
18.好奇心を殺すのは猫だけではない
20.存在と非存在が混じり合っていく瞬間
21.小さくはあるが、切ればちゃんと血が出る
25.真実がどれほど深い孤独を人にもたらすものか
28.フランツ・カフカは坂道を愛していた
最近、村上春樹自身が自分の創作の現場や方法を述べることが多くなってきている。この作品にも多く述べられている。主人公は画家だが、作家としても置き換えてよむことができる。もっと若いころは、「レイモンド・チャンドラー方式」として一定時間机の前にすわることを心がけているとエッセイで述べている。エッセイの末文は自身が窓から庭をぼんやりと眺めている姿を描写している。(村上朝日堂はいほー! (新潮文庫) 文庫)
『遠い太鼓』の「午前三時五十分の小さな死」にも創作に対する気概が述べられている。
それに対する分析もある。(http://ogswrs.blogspot.jp/2014/10/09-october-2014.html)
より直接的に自身の創作について述べ始めたのは、『考える人2010年08号』のロングインタビューからか?(http://sap0220.hatenablog.com/entry/20100725/p1)
『MONKEY』に連載していた『職業としての小説家』も楽しく読んだが、初期のチャンドラー方式と比べると重く真摯である。
(MONKEY Vol.1 青春のポール・オースター) |
また、この小説で新たに繰り返し主人公がいう『時間を私の側につけなくてはならない』という言葉は新しいように思う。
以下抜粋だが魅力的なことばが並ぶ。
『今にして思えば、ずいぶん不思議な流れ方をする日々だった。私は朝早く目覚め、白い壁に囲まれた正方形のスタジオに入り、真っ白なキャンパスを前にし、何一つアイデアらしきものが得られないまま、床に座ってプッチーニを聴くことになった。創作という領域において、私はほとんど純粋な無と向き合っていたわけだ。オペラの創作に行き詰っていた時期についてクロード・ドビュッシーは「私は日々無(リアン)を制作し続けていた」
とどこかに書いていたが、その夏の日の私もまた同じように、来る日も来る日も「無(リアン)の制作」に携わっていた。....』